ある石川賢ファンの雑記

石川賢の漫画を普及し人類のQOLの向上を目指します

石川賢紹介 第九回 新羅生門他

石川賢と文学」

 今回のサブタイトルを少し捻ったのは理由がある。それは今回紹介する短編集の内三作が芥川龍之介の小説を原作または翻案としているからです。この前に書いた神州纐纈城で石川賢の原作に対する姿勢は書いたと思うが、今回はまた別の方向性である。それは原作のビジュアル化と再解釈という方向性だ。この短編集で書かれた二作、羅生門とトロッコはストーリーに一部改変を加えながらも概ね原作通りに進んでいく。この場合、評価するべき部分はどこか。それはセンスである。文字を脳内でイメージとして展開し、それを描く力だ。「今度は高い崖の向うに、広々と薄ら寒い海が開けた。」

 この一文で何を連想するだろうか。

 絵に宿る文学性がこの短編集の醍醐味だと私は思っている。文字で紡がれた描写を絵にする。モノローグのないモノローグ。絵で示しながらも想像を掻き立てる描写力。つまりは、文学だ。石川賢の文学性を意識してこの短編集を読めば、以降石川賢作品を読む時に新たな視点を開くことができるだろう。

新羅生門」

 表題作の本作は羅生門を大胆に改変した伝奇バトルである。時は平安、世は乱れ、飢饉や災害によって荒れ果てていた。貧しさから悪に染まる人々が後を絶たなかった。そんな中人の心に生まれた闇に奴らは来る。魔物たちだ。原作では一人の男が悪に染まるまでを描いた。しかし本作はそれと戦う者を描く。下人が老婆からみぐるみを奪い悪に染まった瞬間、心の闇から魔物が現界する。そして戦いが始まるのだ! 果たしてその行方はいかに! 本作はしばらくして虚無戦記の一部として吸収されたので読むことをお薦めする。

「昭和幕末記 人斬り以蔵奇譚」

 本作は二宮博彦氏の原作によって書かれており、石川賢は作画担当である。 

 血風吹き荒れる京都。夷敵大河原十蔵を斬り伏せんと岡田以蔵は走っていた。その時である、時空に揺れがおこり以蔵は現代に飛ばされた。彼は目についたもの全てを斬っていく。ヤクザ、銃弾、クラブ、車、外国人。斬って斬って斬り捨てる。内臓の海に溺れても構わず斬り進む。歴史の闇に消えた闇討ちが今ここで暴かれる。

「忍法本能寺 果神居士の妖術」

 燃え盛る本能寺、織田信長と対峙する怪しげな男。その名は果心居士。この状況を作り出したのは奴だ。歴史書にその名前は多く記されていない。虚実雑談集にわずかに記されるのみである。それこそが巧みな暗躍の証拠である。その目的は、勢力は、歴史の闇の中に何が眠っているのだろうか。

羅生門

 これは原作とほぼ同じである。ただ、原作のモノローグを漫画的な表現との兼ね合いからもう一人の強盗との対話と言う形式で描いている。そして下人は悪へと堕ちる覚悟を決める。本作の見どころは平安を覆う深い闇の表現と下人の鬼気迫る表情である。原作の行間を読み描いたその画を見て欲しい。

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「トロッコ

 こちらも原作と同じである。本作の魅力はその牧歌的な風景と後半のガラッと変わった雰囲気だ。走るトロッコから見える風景。雑木林、渓谷、海。原作の詩情をうまく表現している。そして後半、一人で帰らなければいけない少年の不安さがパワフルなビジュアルでもって読者にも襲い掛かる。特に、風に吹かれる木々が怪物になるシーンは子供の見る世界の不思議さその心細さをうまく表現している。

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 この四作を通じて私が感じたのは。石川賢の心理描写の妙である。石川賢の画力でもってその心情をダイナミックかつ繊細に描く。言葉なしで言葉よりも多くの情報を届ける。物書きの端くれを自称する私にとって忌まわしいほどに美しい妙技である。手軽にさっと石川賢を摂取したいとき、石川賢と慕情のマリアージュを楽しみたい時、そんな時には最適の一冊である。ぜひ手に取って欲しい。

 よい石川賢ライフを。

 

新羅生門 (SPコミックス)

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