ある石川賢ファンの雑記

石川賢の漫画を普及し人類のQOLの向上を目指します

最近見た映画の話 スーパーマン (1978)

 最初に言い訳をさせてください。更新が滞ったのはリアルが色々忙しかったからです。あと今回石川賢じゃないのは何となく手持ちの石川賢漫画全て紹介し終わったら書くことが無くなるのがなんか寂しいと思ったのと単に今語りたくなったからです。あと更新はこれから土曜日くらいにします。

 

 スーパーマン。それはヒーローの代名詞。誰もが名前を知っていて、見ていなくてもなんとなくのイメージ多くの人が持っている。世界一有名なヒーローと言っても過言ではないだろう。誰もが知っている。だからこそ、今更知るべきだ。私はMCUほぼ全てとXMENとDCEUとティムバートンバットマンダークナイト三部作とアローバースを少々齧った程度のにわかだが、にわかだからこそ古典を知ることでより現行の作品を楽しめると思っている。石川賢を読んで海外SFを読んだ時もそんな感じだった。

 本作はかなり古い映画である。だからこそ現代人の私の目には新鮮に映った。かっこいいヒーローと素朴な青年の二つの顔を持つクラーク。そのまっすぐで牧歌的にも思える正義感は近年のヒーロー映画にはないものだと感じた。近いもので言えばキャプテンアメリカファーストアベンジャーだろうか。それと、新鮮に感じたのは救助シーンの多さと戦闘シーンの少なさである。本作は冒頭でスーパーマンと同じクリプトン人であり後の宿敵になるゾッド将軍が宇宙に追放され、クリプトン星の爆発から逃れる描写がある。しかし本作の出番はそこだけだ。対決は次回作の冒険編になる。つまり本作の範囲ではスーパーマンと殴り合える相手がいないのだ。だから、スーパーマンが戦闘をするシーンはない。強盗を捕まえる時も、あっという間に捕まえて強盗は何もできない。しかしヒーロー映画である以上スーパーパワーを使ったアクションは入れなくてはいけない。そこに入るのが人命救助のシーンだ。スーパーマンの初登場はヒロインであるロイスレーンがヘリの事故に巻き込まれた時である。その飛行能力と怪力で落ちゆくヘリを受け止める。有名な電話ボックスを使った変身シーンもこの時だ。そして、そのままヘリを助けた後、メトロポリスを飛び回って困った人を助けて回るのだ。破損した飛行機を支え、強盗を捕まえ、木の上の猫を降ろしてあげる。ミクロもマクロも関係なく、困った人を助ける。なんとも親しみやすい存在だろう。スーパーマンのヒーローとしての在り方をわかりやすく効果的に表現している。

 物語には浮き沈みがあり、ハレとケがあり、光と闇がある。相克が物語を生むのだ。スーパーマンの対極とはレックス・ルーサーである。スーパーマンが遠い星からやってきた正義なら、ルーサーは地球生まれの悪人である。彼の武器はその頭脳である。正面切っては絶対に勝てないスーパーマンを知略のみで倒す。それがルーサーのスタイルであり、矜持である。本作における彼の陰謀はスマートにしてユーモラスだ。二人の馬鹿な手下に悩まされながらも壮大な計画を実行する。手下の名前はオーティスとミステシュマッカー。従順さだけが取り柄の男と見た目だけが取り柄の女だ。そんな二人をうまく使ってルーサーは核ミサイルの進路を操作し、西海岸に落ちるようにセットする。西海岸が壊滅すればルーサーが持っている砂漠の土地の値段は急上昇する。巨万の富を手にするというわけだ。けれどそんなことをスーパーマンが許すはずがない。ルーサーもそれは重々承知だ。スーパーマンに邪魔させないために取った彼の策。それはシンプルにして冴えたやり方。彼は巧みな話術によってスーパーマンの心理を誘導し、クリプトナイトが入った箱を自ら開けさせたのだ。クリプトナイトはスーパーマンの故郷クリプトン星の破片であり、スーパーマンの身体能力を常人以下にまで落としてしまう。スーパーマンはプールに落とされ、窒息の危機に陥る。果たしてスーパーマンはどうやってこの危機を乗り越えるのか!

 まあ古い映画なのでネタバレはいくらでも転がっているだろう。しかし、自分の目で確かめて欲しい。衝撃のラストと言うわけでもないがスーパーマンであり、クラーク・ケントの選択として非常に納得できるものだ。ヒーローであり人間、今日にまでつながるヒーロー物のお約束がきっちりと描かれている。私が考える本作の魅力は王道の面白さを高水準で描き切っていることだ。一つ一つのセリフ、画造り、俳優の演技それらが魅力的に作られている。カンペを逐一見ているのを感じさせないマーロン・ブランドは間違いなく名優である。主演のクリストファー・リーヴの芋臭さとハンサムさの切り替わり、直球でヒーローらしい振る舞いとそれを嫌味に感じさせない愛嬌のバランスが素晴らしい。個人的な好みとして、クラシックな特撮描写もいい。

 ぜひ見てくれ。そして面白いと思ったらティムバートンのバットマンも見てくれ。

 

 

スーパーマン ディレクターズカット(字幕版)

スーパーマン ディレクターズカット(字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

石川賢紹介 番外編 新ゲッターロボ

「原作に挑戦してこその石川賢イズム」

 

 OVAゲッターロボシリーズ三作目の本作は個人的に一番スタンダードなゲッターロボだと思っている。とは言え途中で黒平安京に転移して木造戦艦と安倍晴明が戦う絵面は初めて見る人には訳が分からないだろう。私は柳生十兵衛死すを読んでいたから特に違和感なく受け入れることができた。なので他の人の感想を探していたら黒平安京パートが唐突とか必要性を感じないとか色々言われていて驚いたものだ。思えば、このブログを始めた目的はこれまで読んでこなかった人たちに石川賢の素晴らしさ知ってもらうことだ。それなのに、石川賢にどっぷりと浸かった私の視点で語っても意味がないのではないか。かと言って私にはそれ以外の価値観を持ち合わせてはいない。伝道するならば、もっとうまくやれる人がいるのではないか。そう考えることも少なくない。だとしても、私は書き続ける。やらない理由はない。

 

 新ゲッターロボはこれまで描かれてきたゲッターロボサーガをなぞりながら、独自の展開をしていくまさに新時代のゲッターロボである。暴力に明け暮れる荒んだ日常を送る竜馬。そんな竜馬に刺客を差し向けスカウトする早乙女博士。仲間の顔を素手で切り裂くテロリストの隼人。ここまでは王道だ。そこにぶち込まれる武蔵坊弁慶。日本昔話の怪物のような風体、そして畑や家畜を荒らし女を寝取る悪行三昧。ゲッター3のパイロットとしてこれまでにない新機軸だ。しかしその造形は石川賢のキャラ造形を踏襲している。それぞれの戦う動機もしっかりと描かれている。早乙女達人の死をきっかけにその無念を背負い、戦うしかない運命を知る竜馬と博士。ゲッターの力に魅了され、調べつくそうとする隼人。自分を真っ当な人間に育てなおそうとしてくれた和尚を鬼の襲撃によって失い、敵討ちへと身を投じる弁慶。三人の生い立ちがしっかりと語られ、その戦う理由が理解できる。一方で迫りくる敵、鬼は謎に包まれたままだ。どこから来るのか、どれだけいるのか、まるでわからない。わかっていることは、早乙女研究所を狙ってくることと噛みつかれた人間は鬼になってしまうこと。達人も、隼人の仲間も、和尚も、鬼となり、ゲッターチームによって介錯された。犠牲を背負って彼らは戦い続けるのだ。

 

 話は黒平安京に移る。度重なる襲撃を退け、一つになったゲッターチーム。敵を追って琵琶湖に飛び込んだ彼らが見たものは、湖底に鎮座する黒平安京であった。そして、ゲッターロボ諸共黒平安京に呑み込まれてしまう。漂流した先で木造空中戦艦を駆る源頼光(女)と協力し、現代に鬼を送っていた安倍晴明を倒すのであった。

 わかるか。わからないだろう。しかし書いたままだ。一見奇妙奇天烈だが、このパートは重要な意味を持つ。最終回での竜馬の行動にも影響を及ぼす重要なパートだ。ゲッターロボが長い間山に埋まっており、生身のアクションが大半を占めるという点がロボットアニメとして若干致命的だが些細な問題だろう。原典であるゲッターロボサーガにおいてもアラスカ戦線のほとんどの期間ゲッターロボ號が修理中だったこともあるし、問題はない。

 

 本作の特徴として最も際立つのは竜馬の特異性だろう。本作の竜馬は他の二人と比べて異様に強い。ゲッター線の寵愛を一身に受けている。ゲッター1になった途端出力が桁違いに上がり、トマホークの素材で作った刀を使ったとは言え生身でもゲッター線の斬撃を飛ばすほどだ。その一方で、隼人と弁慶はゲッター線の危険性に気付いていく。敵がくるからゲッターがあるのか、ゲッターがあるから敵がくるのか。そして現れる四天王。果たしてゲッター線は人類をどこに連れていくのだろう。

 この先は自分の目で確かめるのだ。確かなことは一つ。愛する者がいる限りそのためにだけでも戦い続けるというコトだ。 

 

 もう一つ見所を挙げるとしたら、それは歌だ。JAM Projectによる主題歌「DRAGON」は本作の戦闘を華やかに、ダイナミックに彩ってくれる。イントロだけで血液が沸騰し、かっこいい歌と共に敵を倒すゲッターロボのカッコよさと言ったら心のマグマが沸き上がるほどだ。かっこいいアクションとダイナミックなストーリー。そして神々との無限の闘争。石川賢入門に相応しい一作である。おすすめだ。

 

 

 よい石川賢ライフを。

 

石川賢紹介 番外編 真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ

「対って書いてあるけど戦わないのはお約束」

 

 今日紹介するのはOVAゲッターロボシリーズ二作目真ゲッターロボ対ネオゲッターロボです。本作の魅力を表すとしたら、単純明快なエンタメ作品。それに尽きます。個人的にはOVA三作の中で一番好きです。全4話と短いですが、その中に武蔵の自爆、號のスカウトと戦いの決意、恐竜帝国の狡猾な作戦、後継機への乗り換えイベント、テキサスマック、敷島博士と楽しいイベントが詰まっているのです。楽しいお祭り気分になれるゴキゲンな作品。そんな面白さがこの作品の魅力です。

 本作の面白さ、それはまず掴みの上手さにある。漫画版無印ゲッターロボの終盤を彷彿とさせる武蔵単騎の決戦。無数のメカザウルスを相手に単身戦うゲッターロボ。記憶喪失によって戦うことのできない竜馬、それを見守るしかない隼人。ニューヨークの街が廃墟と化していく。ゲッターロボすらも追い詰められ、メカザウルスが群がる。しかし、それこそが武蔵の作戦、武蔵の覚悟。ゲッター炉心を取り出し、暴走させる武蔵。そして、爆発。ニューヨークをゲッター線が覆い、メカザウルスを道連れにした。ここですかさずOP! 穏やかな海が爆音で渦巻き炎が上がり、黒煙の中で死神が微笑み大地が割れる歌詞と映像! 叫び惑う人々の中をか!き!わ!け!俺は急ぐ迫りくる敵へ走る歌詞と映像! そして!熱き怒りの嵐を抱いて戦うために飛び出したゲッターが今を生きる人間の腕に明日の希望を取り戻す! 最高! 何を言っているかわからないと思うが、書いた通りなのだ。本当に一字一句同じなのだ。ぜひ見るのだ。

 テキサスマック。テキサスマックを語らずして本作を語り切ることにはならない。あのテキサスマックだ。TV版のチョイ役がスパロボで取り上げられ、謎のキャラ付けをされた後に本作へと逆輸入されたテキサスマックだ。怪しい片言のアメリカ人、ジャックキングとメリーキングの兄妹が操縦するアメリカ製のスーパーロボットがテキサスマックである。グランドキャニオンの岩が真っ二つに割れて、馬型ロボットに乗って発進するカウボーイをモデルとしたロボット。うさん臭さの塊である。こんなにコテコテのアメリカ臭がするロボットはガンダムマックスターとこいつくらいだ。そんな出オチみたいなテキサスマックだが、本作ではかなり活躍する。過去一活躍する。これはもうテキサスマック史に残る快挙である。そもそも本作以外でまともな出番がないが。なんと一話まるごとメイン回が与えられているし、最終決戦でも助っ人として参加する。何故かエンディングもテキサスマックのテーマである。ただ、それだけ尺を割くだけあって、パイロットも機体もカッコいい。しっかりと活躍し存在感がある。アメリカの子供がい隕石を迎撃するテキサスマックに歓声を上げるシーンはベストテンに入るくらい好きなシーンだ。世界一テキサスマックがかっこいいアニメ「真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ」ウォッチナーウ!

 何よりも、本作は王道をしっかりと踏みしめて歩んでいる。新ゲッタチームが絆を育てるまでの流れ、キャラ立ち、竜馬と隼人のいぶし銀な活躍、そして意外なことに本作は爽やかなハッピーエンドで終わる。敵を倒し、ゲッターと一体化したと思われた號たちは無事に帰還し、平和な日常は戻ってくる。これだ、これがあるこそ本作はいい。石川賢チックな宇宙の果てに、虚無の彼方に続く終わり方も嫌いではない。むしろ好きだ。好きだが、こんな終わり方もいい。だからこそまず勧めるなら本作だと私は胸を張って言える。石川賢だった魔空八犬伝武蔵伝は奇麗に終わっている。

 まず、ゲッターロボってどんな感じなんだろう? とにかく派手に動くかっこいいロボットが見たい。ゴキゲンになりたい。そんな時、本作を見るのだ。疲れた心に活力を与えるいい薬になる。私もこれを見てから調子がいいんだ。声も聞こえてくる。さあ、見るんだ、さあ!

 よい石川賢ライフを。

 

 

石川賢紹介 番外編 真!ゲッターロボ 世界最後の日

「俺のわかるように説明しやがれ!」

 

 観ていると頻繁に上の言葉を叫びたくなる、そんな人は多いのではないか。私はそれほど疑問に思わなかった。きっと謎に対する考え方が違うのであろう。私は謎を謎として受け入れてしまう。解明されるべきと考えず、なんかあったんだろうなと思ってしまうからだ。なのでこの感想記事は初見の方にとってあまり参考にならないかもしれないとここで断っておく。

 

 真!ゲッターロボ 世界最後の日はOVAゲッターロボシリーズの一作目として1998年に制作されました。その内容はとにかく外連味に溢れ、謎が謎を呼ぶ展開や壮大なスケールのSF設定などTV版ではなく漫画の石川賢が作ったゲッターロボに寄せつつも独自路線の作風を持ったタイトルです。まずはそのあらすじから解説しましょう。

「フハハハハハ! 全てを説明してやろう。これが真ゲッターロボだ!」

 

 早乙女博士が人類に牙を剥いた!研究所を中心に集まる無数のゲッター達。そこに単身突撃を駆けるはA級刑務所から仮釈放された流竜馬。早乙女博士と隼人の計画によって地獄を見た竜馬は復讐のトマホークを振り上げる。しかし、彼の前に現れたのは無数のインベーダーと真ゲッターロボだった。ゲッター線を吸収し人類を滅ぼそうとするインベーダーと早乙女博士の壮大なる計画、真ゲッターロボ。人類のため、竜馬は復讐を後回しにしてインベーダーと戦う。真ドラゴンが目覚める時、インベーダーたちは早乙女研究所に終結する。そして重陽子ミサイルが発射され、世界は荒野となり果てた…。

 13年後、地上に蔓延るインベーダーに人類は追い詰められていた。旧ゲッターチームの車弁慶とその娘渓達はか細い抵抗を続けるも、状況は悪化の一途をたどる。その前に現れる真ゲッターロボと謎の青年ゴウ。果たして早乙女博士の真意とは、真ドラゴンとは……ゲッター線の意思に導かれるまま、人類は最後の夜明けを見る!

 

 まさに謎、謎、謎だ。ただでさえ難解なストーリーに監督交代の混乱も合わさって何が起きているのかさっぱりな人もいるだろう。

www.youtube.com

 この動画にその経緯が少し説明されている。

 しかしそんな混沌の中で、物語を引っ張っていくパワーと言うものが本作には存在する。特に序盤の無数のゲッター軍団対竜馬操るゲッター1の壮絶な戦いは視聴継続への期待を膨らませるには十分だろう。その超絶作画は3話分で予算を使い切り監督降板の原因になったとまことしやかに語られるいわくつきの逸品だ。そして、麦人氏演じる早乙女博士の怪演は特筆すべきだろう。怪しげながらも有無を言わせぬ勢い、高笑い、そして命を振り絞る叫び。もったいぶって肝心なことをふわふわと伝えてくるのになぜか納得してしまう力がある。また、続くOVA二作でも続投する、石川英郎氏の竜馬と内田直哉氏の隼人もハマっている。若く荒々しい竜馬の声は石川賢の主人公に相応しい獣性や暴力性を巧みに表現している。隼人の狂気と冷徹さの中に使命感を忍ばせる渋い声もいい。第一作にして最大の異色作、問題作、そして人を引き込む怪しげな魅力。初撃としてこれほど相応しい一発はあるまい。ぜひその威力を土手っ腹に喰らって欲しい。きっと貴方が混乱する。そして耐え抜いた者にこそゲッターチームの素質がある。もし耐えられなかったのなら、ここで死なせてやった方が幸せだ。なぜなら!これからもっと残酷な未来がまっているからだ。

 さあ! 観よ!今がその時だ!

 よい石川賢ライフを。

 

 

石川賢紹介 第十二回 伊賀淫花忍法帳

 「俺は天下のホモだぁ~~!」

 

 上野の国、山神藩は銅山を有し、代々女達が力を持つ土地だった。そこに建つ小神城はくのいち城とも呼ばれる。そんな山神藩の銅山から黄金が発掘された。それを放っておく幕府ではない。藩主山神善之助に男児がいないことをおとり潰しの口実として幕府は銅山を手にせんと刺客を送り込むも、せんずりしかできない無残な姿で送り返されてしまった。山神藩を守るくのいち達に対抗するため、服部半蔵は二人の腕利きの忍者を招集した。一人は美女丸、生粋のホモである。くのいち共の忍法をものともしない、まさに天下のホモである。もう一人は魔羅の子天狗。丸太のような逸物を持ち、突っ込める穴ならなんにでも突っ込み、四十里を駆けながら老若男女獣鳥獣草木を問わず犯し続ける底なしの精力を持つ忍者である。対するは山神御目子率いるくのいち軍団。それぞれが必殺の忍法、もとい淫法を使う手練れである。果たして、勝利を手にするのはどっちだ!

 あらすじだけ書いて、なんだか頭が沸騰しそうになるのを感じた。しかし逃げるわけにはいかない。これまではシリアスな石川賢漫画を紹介してきた。しかし、石川賢の魅力はそれだけではないのだ。本作のようなお下劣ギャグや不条理ギャグもまた石川賢の神髄である。石川賢のすごさとは、こんなにふざけた内容でも納得できてしまうほどの説得力である。大迫力で描かれるお下劣忍者バトルは正に圧巻である。敵の首領山神御目子が使う忍法暗黒洞のシーンは正に壮大、強烈、圧倒的な力で品性を破壊する。オマ〇コをブラックホールに変えて周りにある全てのものを吸い込み潰してしまうのだ!

「宇宙で泣け!」

 ブラックホールのでどころが違ってさえいれば最高にかっこいいセリフである・

子天狗が使う魔羅忍法は正に品性下劣、破廉恥の極みだ。しかし、そんな魔羅忍法が石川賢の画力によって描かれることで計り知れないパワーを持つのだ。横山光輝白土三平に強く影響を受けたスピード感溢れるアクションで犯しまくる! 冒涜的かつ挑戦的、そして何より石川賢的!それが石川賢だ。そんな子天狗の酷い描写とは打って変わって美女丸の戦闘をシリアスである。戦う敵も返り血を浴びせて固まった血で敵を拘束する忍法血ヨロイなんて山田風太郎作品の忍者みたいな技を使う。そしてなにより、敵の色香に惑うどころか喜んで突っ込んでいく子天狗とは違い、美女丸は全く惑わない。ただ冷静に敵と戦い、殺すだけだ。一見すると出る作品を間違えているような男だが、そんなことはない。彼は天下のホモである。初対面から子天狗の逸物にメロメロである。隙あらばいちゃいちゃしてとろけた顔を見せている。しかし、二つの場面で美女丸は変わる。一つは女を相手にした時、もう一つはホモを馬鹿にされた時である。彼を笑った者は次の瞬間首と胴とが泣き別れである。けれどそれで止まる美女丸ではない。

「ホモがそんなにおかしいかぁ~!」

「ホモを差別するなあ~!」

「ホモにも人権を~!」

 なんと人道的でリベラリストな男だ。そんなことを叫びながら既に死んでいる敵どもを更にバラバラに切り裂き、それでも止まらない。止められるのはただ一つ、子天狗の魔羅忍法珍静剤だけである。

 どうだろう、紛れもなくこの漫画の主人公に相応しい男ではないか。ここまで読んで興味を持った貴方は石川賢上級者の素質ありです。

 石川賢渾身のお下劣忍者バトル漫画伊賀淫花忍法帳。ぜひご覧になって下さい。

 よい石川賢ライフを。

 

 

石川賢紹介 第十一回 爆末伝

「ロケットで射出されてクソを漏らす土方歳三が出る漫画」

 

「俺は、きさまの言う通り大悪党かもしれん。銭のため密貿易をしたり人を殺したりした͡͡コトもある。女を強姦し、イカサマトバクを手を出したし…放火もやったことがある!!」

「俺は武士だ。俺はあくまでも、これに生きる。こいつには、お前にはわからぬ魂がある」

 

 石川賢漫画の中でも特に好きな一作を紹介しようと思います。その名は爆末伝。見ての通り幕末を舞台とした作品です。

 小栗藩は江戸に攻め上る官軍に対抗するため、外国の商人から武器を買おうとしていた。その仲介人として呼ばれたのは勝海舟、そしてその弟子馬並平九郎。彼はフリーマンを名乗る破天荒な男であり、戦闘学の天才でもあった。一方小栗藩は代表として田村新八郎を同行させた。彼は根っからの武士であり、未だ剣に拘る頑固で昔気質な侍であった。平九郎と新八郎。正反対の二人が官軍や外国を相手に繰り広げるは爆風血風乱れ飛ぶ大戦争。日本の未来はこの二人に託された!

 石川賢が描く歴史漫画が普通なわけがない。蒸気戦車、からくりロボット、木造空中戦艦に人力戦闘機。奇想天外摩訶不思議な兵器が目白押しだ。それだけではない。人間同士の戦闘もまさにダイナミック。平九郎の戦闘スタイルは正に全身火薬庫。次から次へと出てくる銃と爆弾。ぶっぱなす快感は正に天国敵は地獄。近代戦の夜明けを見つめ最新兵器を使いこなしありとあらゆる方法で効率的に人を殺す。彼こそまさに戦の申し子である。そして新八郎は剣士だ。銃弾飛び交い火薬の匂いで満ちた戦場を剣一本で押し通る。それは矜持であり意地だ。日本から失われつつある侍の魂と心中せんとする男の美学である。そう、ちっぽけで安っぽいプライドに命を懸ける男のロマンだ。それに相対する敵もまた強烈である。敵の名は伊藤梅乱。世界を征服するために官軍、イギリス軍に取り入り戦で成り上がろうとする大悪党だ。目的のためなら師を殺し国を売る。平九郎とは元同門であり因縁の相手でもある。その戦法は悪辣にして不滅!土手っ腹に銃弾ぶち込もうが何度爆発に巻き込まれようがしぶとく生き延び、平九郎の命を狙う。剣だろうが銃だろうが戦艦だろうが使えるものは何でも使う。ただ自分の野望のために戦い続けるのだ。そして、その背後にいるのはイギリスのロビンス伯爵だ。奴はなんと、石川賢漫画でも珍しい美形悪役だ。敵も味方もゴリラばっかりの中で、なんと美形悪役なのである。しかし奴もまた石川賢の描く人間、苛烈にして残酷なサイコ野郎だ。東洋に蔓延るウジ共を抹殺すると高らかに言い放ち、敵だろうと民間人だろうと構わず焼き払い爆風の中に葬り去る差別主義者だ。その所業には梅乱も引き気味である。そんな強烈な登場人物と兵器が織りなすこの戦い、見ずに死ぬのはもったいないと思わないか。何よりも、この戦争は楽しいのだ。石川賢は誰よりも戦いを楽しく描ける。美化しているのではない。誰もかれもが醜く死んでいく悲惨な戦争を楽しく描いているのだ。どうだ、見てみたいと思わないか。男なら一度は見てみたいと思うはずだ。それが、それこそが石川賢だ。

 本作の魅力はその超画力によるアクションシーンだけではない。それは平九郎と新八郎、この二人の魅力的な男であり、その関係性でもある。上に書いた通り二人の性格も戦い方も正反対である。そんな二人を結びつけるのは、日本を守ることだ。官軍と幕軍が戦えば官軍が勝つだろう。しかし、戦が終わり官軍が疲弊しきったその時に、イギリスは日本を攻撃し、植民地にするだろう。なればこそ、二人は官軍と戦い、勝海舟が官軍を説得する時間を作ると決めたのだ。フリーマンも武士も、それ以前に日本人であるから手を組めるのだ。しかし、その出会いは最悪であり、お互いがお互いを認めてはいなかった。剣にしがみつく新八郎を平九郎はからかい、新八郎は平九郎が気に食わんと態度を隠さない。しかし、二人をいくつもの死線をくぐり互いを認め合う。終盤、平九郎は五稜郭で武士に拘っていては勝てないと土方歳三に話す。当然周りは怒り、怒りは斬撃となって放たれる。そんな平九郎を庇ったのは新八郎であった。ふしだらで適当なようで心には国を守る誠を燃やすこの男が必要だと、日本人として武士云々関係なく一致団結しないと勝つことはできないと、新八郎が平九郎を認めた証がそこにあるのだ。そんな平九郎が死地に赴く相棒として選んだのは新八郎である。迫りくる戦艦ユルシーズと戦うため、ロケット射出の相方に選んだのは紛れもない新八郎その人だ。その友情、信頼、素晴らしい。

 まさに爆末激動の時代と戦争は物語の進行と共に加速してゆく。その先に待ち受けるのはなにか。歴史の中に吹き荒れる嵐が何を壊し何を作るのか。さあ、今こそ確かめよう。今がその時だ。

 よい石川賢ライフを。

 

 

石川賢紹介 第十回 魔獣戦線

「魔獣戦線」

 

 終末の日は近い! 神は無慈悲に裁きを下す。ソドムとゴモラになった地球に滅びが迫る。そんな中、13人の使徒は新たな世界を生きる新人類を作り出そうとしていた。

 本作は石川賢ダイナミックプロに復帰した少し後に描かれた作品です。なので絵柄が初期のものです。石川賢は初期中期後期で絵柄の変遷がかなり激しい作家です。まあなんでこんなこと今更説明するかっていうと私が持っている双葉文庫名作シリーズの魔獣戦線は後期の絵柄で加筆されてるんですよね。差がかなり激しい上に唐突で困惑するんですがが、一つめちゃくちゃいい加筆があるんですよ。それは終盤の戦闘シーンの見開きなんですがとても躍動感があって最高なんですよ。なので加筆があっても驚かないでねってのと文庫版で読む人はそこを楽しみにして欲しいなってそんな前書きです。

 魔獣戦線、それは人と神々の戦い。世界中から集められた13人の天才科学者、13人の使徒。彼らは新人類を作り出す実験をしていた。その中の一人、久留間源三は自らの妻と息子すらも実験体にしてしまった。新人類は細胞を分解し動物と融合させた新たな生命体だ。源三博士もすでに自分の肉体で実験を成功させている。その条件とは動物と心を通わせることだ。実験動物と心を通わし、いつか土地を買って放し飼いにして一緒に住むことを夢見ていた優しい少年久留間慎一は父親の手によって出来損ないの魔獣となってしまった。失敗作を処分しようとする源三に母親の静江が襲い掛かった。しかし返り討ちになってしまう。死の直前、慎一は母を奪った使徒に怒りを燃やす。生き残ったあかつきには全員八つ裂きにすると心に誓った。その時である、雷が落ちて研究所は炎に包まれた。使徒は逃げたが、崩れゆく研究所の中で母と子を電撃が包んだ。静江の細胞が慎一に流れ込む。魔獣が生まれた。獣の力と鋼の復讐心をその身に宿した最強の魔獣が生まれたのだ!

 ダークな世界観、復讐、そしてバイオレンス。これこそ石川賢の持ち味だ。それゆけコンバットやタロウの時期にはおぼろげに見えていた個性が独立作家期を経て確立されたと言っていいだろう。また、本作はデビルマンの影響が見て取れる。キリスト教モチーフ、主人公のシルエット、神との戦いなどがそうだ。しかししっかりとしたオリジナリティも存在する。まずはその戦闘スタイルだ。慎一の戦い方は正に獣だ。牙で、爪で、敵を八つ裂きにする。その爪や牙はどこから出るのか。それはいたるところからだ。動物と融合した慎一はその体内に動物を飼っていると同じである。腕からも、足からも、腹からも慎一の友達は飛び出して相手に噛みついたり引っかいたりできるのだ。相手の顔を掴み、腕をライオンに変えて噛み殺す様は正に魔獣。また敵の攻撃に対し喰らった部分を変化させて攻撃を食い殺すなど戦い方はバリエーションに富んでいる。それだけではない。慎一の体内に宿る動物たちは皆慎一の友達だ。特に仲が良かったライオンのゴールドは慎一の主力として活躍する。殺された父の復讐であり、慎一の共犯者でもある。

 脇を固める仲間たちも魅力的だ。青森のキリスト伝説をモチーフとした予知能力を持つ一族。その中に13使徒と戦う者がいた。天外真里阿と富三郎だ。真理阿は慈しみに溢れた少女で予知の他にも不思議な力を持っている。敵である使徒も彼女を畏れ敬っている。物語の鍵を握る謎に溢れた存在だ。富三郎はひょうきんな子供で金にがめつく俗っぽいコメディリリーフ、壮大なスケールの戦いを間近に見て驚愕をする驚き役でもある。そんな愉快なパーティが戦っていくのだ。復讐に全てを捧げた慎一が仲間との交流によって人間味を取り戻していくのもこの作品の楽しみだ。

 何よりも刮目すべき場面は圧巻のラストだ。最後に訪れる黙示録の世界。世界の終焉。神々に宣戦布告する慎一と光の中に始まる永遠の闘争。石川賢の黙示録はここから始まるのだ!

 

「神との戦い」

 絶対者との果てしない戦い。それは石川賢作品によく登場するモチーフだ。前に紹介したゲッターロボ神州纐纈城。魔界転生虚無戦記、それに魔空八犬伝や禍などだ。そして本作はそれが最初に登場する作品である。私個人の考えとしては、デビルマンが強く影響していると推測している。デビルマンが漫画界に与えた影響はあまりにも大きい。それは永井豪本人すらも囚われるほどに。至近距離にいた石川賢ならなおさらだろう。デビルマンのラスト、神との戦いと世界の終わり。そのアンサーを多くが求め続けた。永井豪自身が出した答えがバイオレンスジャックなら、石川賢の答えは魔獣戦線から続く果てしない闘争の物語だろう。例え世界が、摂理が、運命が、人類を滅ぼそうとしていても、戦い続ける。戦い続けるしかないのだ。その理由は一つ。愛する者を守るためだ。ただそれだけのために永遠の戦いに身を投じるのだ。描いて描いて描き続けて石川賢はずっと答えを求め続けたのだろう。その無限の旅路の始まりがこの作品なのだ。これを読む者は心して読め。これこそが石川賢だ。無限の闘争に足を踏み入れる覚悟はあるか。虚空の向こう側に旅立つ準備はできたか。今がその時だ。

 よい石川賢ライフを。